所詮 欲求の為だけのピエロ

 

終わりがない という「終わり」

 

それはとても残酷なことだ。

 

とても恐ろしいことだ。

 

 

 

 

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「愛しているか」と聞かれ

 

「愛している」と答える。

 

「愛していないだろう」と言われれば

 

「愛していない」と答えただろう。

 

 そんな関係だった。

 

まるで機械のように相手の望みをなぞる。

それしかないと思った。

19歳の私は未だ17歳の私を飼っていたのだ。

きっと「永遠」があると信じていた。

 

 

初めて会った時、優しい人だと思った。

話をして、素敵な人だと思った。

顔も好みで、すぐに好きになった。

 

2度目に会った時、待ち合わせで彼の車を見つけて駆け寄った。

ドアを開けて車に乗り込み、間違えたと思った。

前に会った時とは違う、冷たい表情が 一瞬見えたからだ。

 

付き合うとか付き合わないとか

そんな話もしないうちに身体を求められた。

私はまた拒否できなかった。

17歳の頃と何も変わっていない。

求められたものを差し出さないと

次がないのではないかと思ってしまうのだった。

 

 

自分を大切に出来ない恋を「恋」とは呼ばない。

自分を大切に出来ないなら「愛」とも呼ばない。

自分を大切にして初めて相手を大切に出来るのだ。

 

私は そう、思う。 

 

 

 

いつもそうだ。

自分を大切にすることを忘れて後悔する。

初めに自分でちゃんと考えていたら

きっと もっと別の人と出会えた筈だ。

 

すぐに身体を差し出すのでなく

お金を出すのでもなく

そんな事は何もしなくても

ちゃんと心が見える人を

それが正しい順番なのに。

 

 

19歳の小娘と付き合っている29歳の男が

旅行もホテル代もご飯代も奢ってもらうばかりで

恥ずかしくなかったのだろうか。

本当に好きな女だったらそんなことにはなっていない。

 

碌でもないと気付けなかった私も大概だ。

 

 

別れの時ですら

「サヨナラ」も無かった。

 

そんな碌でもない男を

いつまでも

いつまでも

忘れられなかった。

 

明確な「終わり」を貰えずに

ずっと 心の中に 澱のように沈んでいるのだ。