言葉が胸で大渋滞 クラクション叩くよ

 

桜が咲いて花が散って

 

緑が芽吹いて心は萎んだ

 

真っ直ぐな子供だった私を置いて

 

私は大人になっていく 

 

 

 

 

 

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中学生の3年生の頃のことだ。

 

クラスに好きな男の子がいた。

落ち着いた雰囲気なのに

友達とジャレている時はとても無邪気で

そんなところが好きだった。

 

女子なんてものは盛り上がると無責任なものだ。

そんな事実はなくても 気のせいでも

誰かの片思いは日常に湧く刺激なのだ。

 

「ねぇ、今見てたよ!気になってるんじゃない?」

「見てたよね!両想いだよ、きっと。」

「告白しちゃえば?」

 

周りの子がそう囃し立てると

不思議なもので

本当にそういう気がしてくる。

 

“両想いとまではいかなくとも、脈はあるかもしれない”

 

そんな風に思ってしまう魔力が、確かにあった。

 

 

今の中学生もそうだろうか、

私の頃は皆かわいいメモ帳を必ず持っていて

授業中にそこに下らない話を書いては

先生に見つからないよう回していた。

 

朝、一緒に登校していた子からメモが回ってきた。

「一緒に手紙で告白しない?」

手紙と言っても、授業中に回すメモ帳だ。

そこに「好きです」と書いて

帰り際にそれぞれの好きな子に渡そうというのだ。

 

その日の昼休み、その子と一緒に

メモ帳の中の何種類かあるデザインの中から一つを選び

文章をああでもない こうでもないと真剣に考えた。

 

“好きです。良かったら付き合って下さい”

 

結局シンプルに落ち着いたこの言葉を今度は

ああでもない こうでもないと何度も書き直し

綺麗な字で?可愛い字で?と悩み

1時間近い昼休みをすべて使って漸く書き上げたのだった。

 

下校時、それぞれの相手が一人になったところで

「帰ったら読んで」と渡した。

 

それから1週間、お互い相手からは何のアクションもなく

今度は2人で電話をかけて返事を聞こうということになった。

学校が終わり一旦家へ帰って着替えて集合した。

それから近くのショッピングモールへ行き

公衆電話の前で10分も20分も心の準備をしたのだった。

 

結果を言うと、お互い振られた。

いや、私の方が惨憺たる結果だったように思う。

「惨憺たる」は少し大袈裟かもしれないが、

生まれて初めての告白の結果としてはあまりに酷かった。

電話を掛け、本人が出たので

手紙の返事を聞かせてほしい、と伝えた。

相手は黙ってしまった。

私もそこから言葉を発せなくなった。

 

 

そして 静かに電話が切れた。

 

 

中学生だった私には

「惨憺たる」と言って差し支えないほどキツかった。

まさか返事を貰えないという結果があろうとは

夢にも思っていなかったからだ。

けれども もう一度かける勇気など持ち合わせておらず

かといって明確に断られたわけでもなく

気持ちの置き場が分からなくなってしまったのだった。

 

 

 

卒業式の日。

置き場の分からなくなった気持ちは

未だ私の中に諦め悪く残っていた。

今日を境に、もう接点はなくなってしまう。

 

卒業式後、玄関前の広場で沢山の人を見ていた。

友達と写真を撮ったり

後輩がボタンを貰いに行っていたり

先生と喋っていたり

その中に好きだった子の後姿を見つけた。

帰ろうとしているところだった。

 

私は咄嗟に走り出し、呼び止めた。

「最後だから一緒に写真を撮ってほしい」

何とか整理をつけたくて

格好悪さも恥ずかしさも一旦忘れて

勇気を振り絞って声を掛けたのだ。

彼は振り返って、こう言った。

 

 

「あ、もう帰るから。」

 

 

彼が見えなくなるまで呆然と立ち尽くし

そして、泣いた。

 

 

 

思えば この痛い経験から

未だに立ち直れていないような気がする。

 

勇気を出して惨めな結果になるくらいならば

物分かりのいい振りをする方が傷付かない。

未練がましく「一緒に写真を」などと言わなければ

どうせそのうち忘れて新しい恋をしていた筈なのに。

さっさと諦めていればあんな思いはしなかったのに。

 

そんな風に思ってしまうのは

きっと 未だに引きずっているからだろう。

私の心は、私が思うよりずっと打たれ弱かったのだ。

 

 

格好悪い恋を出来る人は格好良いと

すっかり大人になってしまってから気付いた。

 

 

桜散る、苦すぎる恋の思い出と

 

真っ直ぐだった私を置いて

 

鎧を着けた曲がった大人になっていく。

汚れた机を僕は夜に片付けた 何かが変わるかな

ねえ「好き」って何だっけ?

 

思い出せないよ 思い出せないよ

 

     ―やつつけ仕事/椎名林檎

 

 

 

 

 

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20歳の頃の話だ。

その頃仲良くしていた子からご飯に誘われた。

いつも通り待ち合わせをしてファミレスへ行く。

そこで その子と彼の話を聞いた。

 

とても とても好きな人が出来た

一緒にいるとすごく楽しくて

毎日でも一緒にいたいくらい好き

たまに喧嘩もするけど

この人しかいないって思う

 

でもこの前

彼の元カノが彼に連絡してきて

妊娠してるから責任取ってって

 

別れて半年も経って今頃そんなこと言ってきて

そんなのズルいよね

それで彼が泣いて謝るんだ

ごめんね 俺のせいで ごめんねって

 

ねぇお願いだから行かないで

これは夢だよね?って

私も泣いて引き止めて

2人でめちゃめちゃ泣きまくって

でもダメだった

 

返してほしい

本当に返してほしい

 

そう言って彼女はまた涙を零した。

私は 何も言えなかった。

私には 泣いて引き止めたこと なんて無かったからだ。

 

いつも自分のプライドを優先して

どれだけ引き止めたくても、格好悪くて言えなかった。

 

だから

「これは夢だよね?」と泣いて引き止めた彼女を可愛いと思ったし

心底羨ましいとも 思ったのだった。

 

 

 

 

21歳の頃の話だ。

高校からの付き合いの子から 最近彼とうまくいっていないと相談された。

メールや会う回数も減って態度も素っ気ない。

電話をしてもすぐ切り上げようとするし

会おうとしても「疲れてるから」と言われる。

 

だからこれから彼の家に行くから

ついてきてほしい。

 

そんな状態で家の前で「来ちゃった」は反則だろう・・

と 思ったが、それをしようと思えるところを素直にすごいとも思った。

 

私はきっと怖くて行けないな、と言った。

彼女は「“好き”の度合いじゃない?」と言った。

 

 

そうか。

“好き”の度合いで

縋れるかどうかが決まるのか。

ならば私は

これまで“好き”だと思っていたけれど

本当に“好き”だったのは 自分だけだったのだろうか と思った。

 

17歳の時も

18歳の時も

19歳の時も

全部

自分の心を守るよりも相手を欲することを優先出来なかった私は

結局のところ自分が一番大事だったのだろうか。

 

 

結局彼女は彼とその日別れてしまったけれど

家まで行ってやるだけやったからか

とてもスッキリしているように見えた。

 

私はやれるだけやってきただろうか?

こんな風にいつまでも忘れられないのは

やれることがまだあるのに物分かりのいい振りをして

簡単に諦めてきたからではないだろうか。

 

 

 

2人の女の失恋は

私の心に滓のようなものを落としたのだった。

 

 

 

“ねぇ「好き」って何だっけ?”

I see you shouting and yelling and struggling.

何を持っているとか

 

何を持っていないとか

 

自分には無理だとか

 

どうせ自分なんか とか

 

 

 

 

 

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人生は不公平なものだけれど

“不平等なもの”では決してない。

 

誰もが平等に生を受けて

誰もが平等に生きる権利があり

誰もが平等に学ぶ権利があり

誰もが平等に信仰の自由を持ち

誰もが平等に愛し愛される権利があり

誰もが平等に働く自由を持っている

 

与えられた平等の中で努力もせずに

不公平だ!と喚く人間は大嫌いだ。

 

自分の持っているものを磨こうともせずに

他人の持っているものを妬み 羨み 僻み 憎む

そんなことをして何になるというのだろう?

 

妬んだら手に入るのか。

羨んだら貰えるものなのか。

僻んだり憎んだり

そうして過ごした時間は無駄ではないのか。

 

努力しても努力しても

届かなかったのなら仕方がない。

けれど

努力を知っている人間は

きっと 不公平だ!とは叫ばない。

 

自分がした努力を大切に思えるはずだ。

無駄ではなかったと自分を認められるはずだ。

 

そして

その努力から手に入れたものを

大切に大切に磨いて

きっと素敵な人間になるのだ。

 

「人生の不公平さ」を知っていることを

私は とても ありがたいと思う。

だから頑張ろうと思える。

自分なりの幸せを探そうと思える。

人と比べることなく自分だけの努力をすることが出来る。

 

平等に与えられた人生を

何とか素晴らしいものにしたくて

毎日を生きる

 

歴史に残るような

そんな大それたことはしなくていい。

誰かの中に残れるような

ほんの小さな痕跡でいい

それが出来たのなら

その人生は素晴らしいものだ。

 

 

 

自分の手の中には何がある

 

どんな原石を持っているだろう

 

自分にだってやれることがある

 

こんな自分にも役割がある

 

 

そんなことを

いつも忘れずに生きていたい。

 

僕らに真実を 疑いようもない嘘を

頭の中を探す

 

嘘だと思ったこと

 

偽善だと思ったこと

 

どうしたらやり過ごせるのか

 

 

 

 

 

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人と人が付き合う上で

“嘘のない関係”なんてものはあり得ない。

これは紛れもない事実だ。

嘘のない関係でありたいと願う気持ちは分かる。

けれど

それを実行出来るかは また別の問題だ。

 

「ずっと一緒にいようね」

これは別れる時まで限定の“ずっと”だ。

「いつか結婚しよう」

この“いつか”は永遠に来ない“いつか”。

「嫌いになることは絶対無いよ」

でも好きでなくなる日は来るのでしょう?

 

ずっと、いつか、絶対

この言葉が嫌いだった。

根拠のない自信で自分への気持ちを表現されると

まるで初めから無いもののように思えてしまうからだ。

人の気持ちは変わっていくものだと知っている。

だからそんな先のこと、

「ずっと先のこと」「いつかのこと」を

「絶対」なんて簡単な言葉でまとめてほしくなかった。

 

 

 

“嘘”はどこまでが“嘘”なのだろう。

 

事実と違うことを言えば“嘘”だ。

それなら

言ったその時は事実で

それから気持ちが変わってしまったとしたら?

それは“嘘”になるのだろうか。

それとも

気持ちが変わってしまった時点で

事実も変わるということになるのだろうか。

 

 

 

自分の言葉で

自分の何かを

誰かに伝えるのは

とても難しく

とても怖いことだ。

 

それでも私たちには

言葉しかないから

時に嘘を介しながら

誰かと繋がっていく。

 

難しかろうが

怖かろうが

それしか知らないから

 

「嘘のない関係」なんて要らない。

けれど、出来る限りの

「真実を伝え合える関係」が

私は欲しかったのだと思う。

 

心から、そう、思う。

僕の呪文も効かなかった 夏の魔物に会いたかった

いつの間にか時間が過ぎて

 

いつの間にか歳をとって

 

もう17歳の私は

 

どこにもいない

 

 

 

 

 

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ここに 17歳の頃から今までのことを少しずつまとめて書いていたら

自分の中から ここに全部移動してしまったようだ。

あの頃 感じていた気持ちをPCの画面を前にして文字にしようとしても

何も出てこなくなってしまった。

時間が経ち過ぎたのか、アウトプットしたからか。

 

人とはうまくやってこれなかったけれど

昔の私は芸術家だったように思う。

10代の頃はきっと誰もが芸術家だ。

特別な何か、

10代だからこそ持てる感性、

そういうものが確かにあったように思う。

 

歳をとっていくらか大人になって

人とも そこそこ うまく付き合う術を覚えて

自分の立ち位置を知って 色んなものに折り合いをつけて

まぁ、このくらいかなって

適当なところで満足も出来るようになって

その代わりに、少しずつ少しずつ切り売りしたみたいだ。

特別な何かを少しずつ削っては「適当な満足感」と交換した。

何かに折り合いをつける度に 代償のようにそれを払った。

きっと そうして その 特別な何か を失くしていったのだと思う。

 

きっと一生辛い思い出のままだと

思っていたハズなのに

ここに 文字にして残した思い出は

何だかキラキラして美しく、懐かしい。

 

大人になって

芸術家ではなくなってしまって

それはとても悲しいけれど

きっと芸術家のままなら

今も懐かしい思い出には出来ず

傷付き続けていたのだろう。

 

いつかまた

そこそこの感性でいいから

芸術家に戻れたらと 思う。

 

さぁ、問題はこの消せないエレクトロライト

手にする度に見え方が変わる

 

時々取り出しては

 

自分の気持ちを確認する

 

私だけの

 

タイムカプセル

 

 

 

 

 

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ずっと吹っ切れずにいた。

 

楽しい思い出だけじゃなくても

私には彼との日々そのものが重すぎる荷物だ。

どんな風に過ごしても

頭から振り払えずにいたのだった。

 

何度眠って何度目が覚めても

彼がいるのは夢の中だけだ。

騙されたままでいれば

もっと傍にいられただろうか?

私さえ我慢していれば

彼の隣に今もいただろうか?

 

毎日そんなことを考えては

布団に潜り何もせず過ごしていた。

 

ある日 高校の同級生だった子が

男を紹介すると言って

私を連れだした。

正直そんなもの要らなかったし

はっきり迷惑だったけれど

きっと彼女なりに

元気づけてくれようとしているのだと思った。

 

カラオケへ行き

そこそこ歌ったところで

それぞれの恋愛の話になった。

 

私を連れだした彼女は

私と彼の話をした。

 

「その彼実は結婚してたんじゃない?」

 

男の一人が言った。

 

「借金があるっていう割に車2台持ってたり

デートコースが常に密室だったみたいだし変だよね」

 

自分でも薄らと気になっていた部分を

他人に指摘されると

急に現実のもののように

輪郭がハッキリするのは何故だろう。

 

それまで見ないようにしていたからか

信じないようにしていたからか

朧気で最早真実が何かなど

どうだっていいところを

その男は無遠慮に暴いていくのだった。

 

借金なんて嘘だった、

独身ということも嘘だった、

君を好きだと言ったことも、

君が「彼女」であったことも。

騙されてただけじゃないの?

君だって本当は

好きじゃなかったかもしれないよね。

まだ好きだったら連絡してみたらいいじゃん。

でもしないんでしょ?

そんなに好きじゃなかったんだよ。

 

 

 

何故出会ったばかりのよく知りもしない男に

こんな風に傷付けられなければならないのか。

 

 

けれど

違う、と

言えなかったことが

悔しかった。

 

 

私は彼のことを何も知らない。

 

トラックの運転手だった。

3人兄弟の真ん中だった。

車はCUBEとCROWNを持っていた。

29歳だった。

 

それから?

私は彼の何を知っていた?

 

 

「2週間で忘れさせる自信があるよ」

 

 

その男が不意にそう言った。

なんだ、そういうことか。

散々傷付けるようなことを言ったのも

全部そのためか、馬鹿馬鹿しい。

 

 

急におかしくなって

少し笑った後、こう言った。

 

「いいの。別に忘れたいなんて思ってないから」

 

 

何が真実かなど

どうだって良かった。

彼が本当は既婚者だったかもしれない、とか

借金があるなんて嘘なのかもしれない、とか

私を好きじゃなかったかもしれない、とか

私も彼を好きじゃなかったかもしれない、とか。

 

 

毎日毎日 無為に過ごしたのは

考えても仕方がないことを

延々と考えて過ごしたのは

そうすることが

私にとって必要だったからだ。

 

心を整理するために、必要だった。

 

誰かで埋めたいなんて

これっぽっちも考えなかった。

この傷は

私だけのものだからだ。

コンクリートに空いた穴を

粘土では埋められないからだ。

 

私は彼のことを何も知らなかった、

それを知っている。

私は彼とただの一度も関われなかった、

それを知っている。

 

だから他人に何を言われても

埋まるはずがないのだと気付いた。

 

時間をかけて少しずつ

自分の何かで埋めるべきものなのだ。

2週間やそこらで

他人が埋められるような

簡単な恋をしたつもりはない。

その途轍もなく無礼な男は

奇しくも

“時間をかけて埋める”という解決策を

気付かせてくれたのだった。

 

 

 

「埋める」ことと「忘れる」ことは違う。

忘れる方が楽ならそれでもいいのだろう。

けれど私は、埋めることを選んだ。

こうして時々掘り返しては眺めて

その度に

“前より辛くなくなった”と分かる。

彼と過ごした日々が

段々薄らいで

少しずつ忘れ始めていることにも、気付く。

埋めたものが私に溶け出して

馴染んで、また私の一部になるのだ。

こんな風に文字にして残すことも出来るのだ。

 

 

 

すぐに忘れようとしなくていい。

誰かで埋めようなんて思わなくていい。

時間がどれだけ掛かっても

それは捨ててはいけないものだ。

経験してきたことのすべてが

「私」を作るのだ。

汚れてる野良猫にも いつしか優しくなるユニバース

 

大人になるということ

 

必要でも不要でも関係なく

 

様々な知識を頭の中に溜め込んでいくこと 

 

自分の立ち位置を知ること

 

“分相応”を覚えること

 

「純粋」から最も遠いところ

 

 

 

 

 

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小学生の頃好きだった男の子、

小学生の頃まわりでモテていた男の子、

顔は関係なくて

一緒にいて楽しいことが一番だった。

笑わせてくれる子だったり

スポーツが好きな子だったり

同じゲームが好きだったり

優しい子だったり

勉強ができる子だったり

面倒見のいい兄貴肌の子だったり

好きになる理由はいつも内面や

その子の努力で得たものが多かった。

 

きっと、その「好き」には性が無かったからだ。

“触れる”という行為が無いから

純粋に内面だけで好きになれた。

それは「異性として好き」と言うよりも

「人間として好き」に近かったのではないだろうか。

 

成長して 色んなことを知って

本当に純粋に

内面だけで人を選ぶことは無くなった。

 

顔や身長や学校でのカースト

そういう外側の情報が多くを占めた。

 

さらに大人になると

そこへ経済力や将来性が加わる。

 

これはフィルターだ。

「顔」というフィルター。

「身長」というフィルター。

「経済力」というフィルター。

「将来性」というフィルター。

大人になる度に増えていくフィルター。

この目に幾重にも掛かったフィルターで

本当に大切なものが見えにくくなる。

目の前が曇ってしまって分からなくなる。

 

自分を大切にしてくれる人だろうか?

自分を心から笑わせてくれるひとだろうか?

自分は本当にこの人を幸せにしたいと思えるだろうか?

 

この人を

 

本当に

 

愛せるのだろうか。

 

顔が好きだとか

話を聞いてくれたからとか

寂しかったからとか

そんな理由で付き合って

うまくいった試しがない。

 

自分を大切に思ってくれる人

自分が大切に思える人を

いつも見間違えてしまっていた。

 

彼と出会って

子供の頃に好きだった子達を思い出した。

笑わせてくれて

優しくて

好きなゲームが同じ男の子。

 

純度は100%でなくていい、

出来るだけフィルターを取って

子供の頃のように純粋に

誰かを“人間として”愛せる、

もう一度

そんな風になりたいと思った。

しかし何故に こんなにも目が乾く気がするのかしらね

 

 目に映る風景はカラフルで

 

私のためになど

 

用意される訳もないと

 

思っていた景色だった

 

「恋」だと思い手を伸ばした

 

急に色褪せていくように見えた“それ”は

 

「恋」なんかじゃなかった

 

 

 

 

 

 

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私の人生の中で唯一人

別れた後も交流のある人がいる。

あえて連絡を取って会ったり遊んだりしないし

「友達」とは呼べないのかもしれない。

けれど

偶然会えば互いの近況を報告したり

笑ってくだらない話が出来る程には仲が良い。 

 

それは私がどうこうでなく

彼が底抜けに優しい人だからだろう。

 

付き合っていたのは22歳の頃だ。

「付き合っていた」なんて呼べる程

まともに付き合ったわけではなかったけれど。

 

20歳の少し前くらいから通い始めた

地元のアイリッシュパブで知り合った。

常連同士知り合いでなくても気軽に話すような

そういう気さくな店だった。

 

一見大人しそうな彼は

話してみると飄々として面白く、

一緒にいてすごく楽しかった。

 

行きつけの飲み屋で出会ったせいもあって

常連客や店員、友達からも後押しされ

結局付き合うことになったのだった。

 

彼からの好意は感じていたし

彼といれば楽しかったけれど

自分の中で何となく

しっくりこないモヤモヤがあった。

 

付き合ってすぐ

そのモヤモヤは大きくなり

会えば楽しいけれど

会うまでは「行きたくない」「会いたくない」

そんな気持ちが常にあった。

 

結局1ヶ月でやっぱり付き合えないといって別れた。

 

彼は私を一言も責めなかったし

友達でいようと言ってくれた。

 

「別れても友達」なんて所詮は嘘だ。

振った私からは連絡など出来ないし彼からもしてこないだろう。

そう思っていた。

けれど彼は本当に「友達」として仲良くしてくれた。

それまでと変わらず接してくれた。

 

そして

私が彼から貰いたかったものは

「愛情」でなく「友情」だったのだと気付いた。

 

 

 

寂しいから

よく考えもせず付き合ってしまう。

寂しいから

自分の欲しいものを見間違える。

寂しいから

そこを埋める何かを求めて

寂しいから

差し出されたもので埋めようとする。



寂しさは人の目を曇らせ、頭に霞をかけてしまう。

 

「自分に嘘を吐かない」ことは難しい。

 

目を開けて、考える。

 

もう決して、間違うことのないように。